廃屋グループとは

なぜ廃屋なの?
廃屋グループは誰もに見捨てられたオンボロの家屋にこそ、価値をみつけたい。愛されなくなった建物こそ再生する価値がある。捨てられてしまうような廃材で建物を直すことで、人間と廃屋の関係を紡ぎ直すことを日々考えています。
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廃屋ニュース

ボロボロの廃屋たちの、
ピカピカなニュース!


今月の廃人くん


岡山県出身。神戸芸術工科大学で建築を専攻。兵庫県神崎郡神河町の空き家を手にいれる。夜行性。貧乏性。常識はとりあえず疑う。デザインや動画編集や空き家改修をしているが、まだ何者でもない。
組員・白濱 翔太くん


廃屋グループの家を探す






廃屋グループの家に住む
主体は生物に有り。生物にとって最適化された巣づくりとは?廃屋グループでは自然に還りかけた廃屋を「わざわざ」修繕しています。廃屋から修繕された建物、借りてもしくは買ってもらえるものを絶賛募集中です!


古物・古材を見つける

街を見渡すとそこかしこに建物の解体をされている現場があちこちに。解体された材料は一体どこにいってしまうのか気になる人も多いと思いますが、残念ながらそのほとんどは産業廃棄物として焼却処分もしくは埋め立て地へと処分されてしまうのが実情です。そのような家屋から使えるものをレスキューして販売する活動を行っております。

廃材の直し方

自然に還りそうな家、そのままでもかっこいい。でも人間が住むためにあえて直す。主体は生物に有り。生物にとって最適化された巣づくりとは。DIYをふまえた改修いえづくりのご相談をお受けします。


廃屋アーティスト・イン・レジデンス
廃屋アーティスト・イン・レジデンス
廃屋グループのアーティスト・イン・スタジオのプログラム。「見捨てられた廃屋に、新しい価値を創出する」ことをテーマに、国内外のさまざまなアーティストと共に、廃屋をハックし、遊び、いかし続ける知恵の蓄積と実践を行います。

廃屋第募集!

荒廃して直すのもお金がかかる、でも不動産屋さんに相談しても売却もきびしそう。そんなときは廃屋グループにご相談ください。神戸市内であれば引受可能です。兵庫県外の物件でもご相談いただければ現地に赴きご相談もさせていただけます!





コラム
人間は自らの生活と住まいのために、家をつくりました。
その人間の家を、シロアリが自らの生活と住まいのために木材を食べ、巣をつくりやがて廃屋となりました。廃屋となった家、これはだれのための家なのでしょうか?
循環の上でそれぞれ生き物が、家をつくるという行為を繰り返している。
廃屋はその現れであり、愛すべき循環の行為の一部である。
その人間の家を、シロアリが自らの生活と住まいのために木材を食べ、巣をつくりやがて廃屋となりました。廃屋となった家、これはだれのための家なのでしょうか?
循環の上でそれぞれ生き物が、家をつくるという行為を繰り返している。
廃屋はその現れであり、愛すべき循環の行為の一部である。
コラム
腐海と廃屋
「風の谷のナウシカ」に登場する腐海。未来の最終戦争で滅亡した都市の跡に現れた人の住めない場所。腐海の役割とは、汚染された世界を浄化、自然に戻す機能をもっています。
廃屋もまた腐海のように、人間が作った人工物を、生き物が使える自然物へと変えていく過程の存在になる。そう考えると廃屋も愛すべきものに見えてきませんか?
廃屋もまた腐海のように、人間が作った人工物を、生き物が使える自然物へと変えていく過程の存在になる。そう考えると廃屋も愛すべきものに見えてきませんか?
コラム
早い安いは、うまくいかない
人間は生産性を追い求め、効率的に建物をつくるようになりました。
工場でつくった建材、それを組み立てることで、早く安く建物をつくることが可能になりました。効率的であるがゆえに生産ラインにのらないものは廃棄され、再利用できない新建材でつくられた建物はスクラップアンドビルドされてしまいがち。ボンドがなかった時代の建物は床をはぎ再利用も可能。
しかし効率とリサイクルは相反するものですが、人件費も建材も上がってきた昨今、わざわざ廃材を再利用しても割にあう、費用が新品を買う値段とつりあってきているようにも感じてます。
廃材の利活用は、遅くて手間がかかる行為です。ただあーてでもないこーでもないと、人間の手をかけることで生まれる価値が、今求められている気がします。
工場でつくった建材、それを組み立てることで、早く安く建物をつくることが可能になりました。効率的であるがゆえに生産ラインにのらないものは廃棄され、再利用できない新建材でつくられた建物はスクラップアンドビルドされてしまいがち。ボンドがなかった時代の建物は床をはぎ再利用も可能。
しかし効率とリサイクルは相反するものですが、人件費も建材も上がってきた昨今、わざわざ廃材を再利用しても割にあう、費用が新品を買う値段とつりあってきているようにも感じてます。
廃材の利活用は、遅くて手間がかかる行為です。ただあーてでもないこーでもないと、人間の手をかけることで生まれる価値が、今求められている気がします。
コラム
価値がない「もの」の価値
廃屋や産材はなんて価値なんかない。それって本当でしょうか。新築がもてはやされ、廃屋とか廃材は無価値のものとされ、日々解体廃棄されている世の中ですが、本当に価値はなくなってしまったのでしょうか?古民家には当時にしかできなかった手仕事があり、材料もいまじゃ採取できない構種もあったりします。変な言い方ですがこれは過去からタイムマシンで送られてきた貴重なマテリアルではないでしょうか。捨てられてしまうような廃材を見つめ直し、価値を見出して循環していくことに意味がある、価値がない「もの」にこそ価値が見いだせるのではないかと廃屋グループでは考えます。
コラム
腐る家
その昔、屋根が茅葺きだったころ、屋根が腐りかけても、村人のだれかが住む家であればみんなで集まって屋根を直し、みなで手入れをするという文化があった。腐った茅は近くの土壌に還り、腐葉土となりやがて栄養となって食物へと返ってくる。腐ることが自らの栄養の手助けとなっていた時代は、家屋が荒廃することに恐れをいだくことはなかった。使わない家は自然と腐り土に還る。
いまはどうだろうか、新建材は長期に劣化しない。家が腐らない時代において、腐り変化する家は恐怖に感じてしまう。腐らない変化のしない家を当然のものとして受け入れてしまう。それはとても不自然な行為ではないだろうか。
いまはどうだろうか、新建材は長期に劣化しない。家が腐らない時代において、腐り変化する家は恐怖に感じてしまう。腐らない変化のしない家を当然のものとして受け入れてしまう。それはとても不自然な行為ではないだろうか。
コラム
廃屋の価値
廃屋には価値がない?そもそも所有する土地が人間にとって、なんらか価値のあるものであるべきだという考えは正しいでしょうか?あいている土地に草木が生えて、光合成から酸素が生まれ、生き物が蠢く循環、自然にとっての価値はありそうかも、廃屋が必ずしも人間にとって価値がある必要がないような気もしてきました。